39日目!
Easy の最初の方は親子の会話が多いのですが、yes はまだ出てきていません。
代わりに使われるのが yeah です。これは頻繁に出ますね。
well もよく出ます。
日本語でも、大した意味はないかもしれないけど、なんとなく間に挟みたい音というのがあります。
例えば電話をかける場合、「~の件でお電話させていだだいたのですが」
というのはなんらおかしくありません。
ですが、「あのー、~の件でお電話させていだだいたのですが」
という風にワンクッションはさみたいのが心情なんです。
ただし、乱用すると聞き苦しいことになります。
昔僕はそのような話し方をしていたので、意識して改善したことがあります。
例えば、コンビニでの会話を例に挙げると、
「お弁当は温めますか?」 「あ、はい」
「箸はお付けいたしますか?」 「あ、1膳お願いします」
「袋はお分けいたしましょうか?」 「あ、いえ、結構です」
なんなんでしょうか。この「あ」は。僕はこれが自分の口から勝手に出てくるのが嫌でした。
講演や答弁などでも、「えー」を多発するのは良いことではないです。
話は飛躍しますが、こういう会話はどうでしょう。
僕「明日の昼予定ある?」
友「いや、とくにないよ。なんで?」
僕「じゃあメシ食いに行かない?」
非常によくある会話です。
しかし、最初から「明日の昼、メシ食いに行かない?」と聞いた方が早いのに、そうしないのはなぜでしょう。
返事が Yes と No の場合で分けてみます。
Yes の場合
僕「明日の昼、メシ食いに行かない?」
友「いいよ。何食う?」
No の場合
僕「明日の昼、メシ食いに行かない?」
友「うわっ、ごめん、用事あるんだよねー」
ポイントは友人が謝罪をしたことです。謝罪をさせてしまったことに対して申し訳なく思います。
次に、断られるという前提で、友人目線で考えてみます。
直接的に誘う場合
僕「明日の昼、メシ食いに行かない?」
友「うわっ、ごめん、用事あるんだよねー」
間接的に誘う場合
僕「明日の昼予定ある?」
友「いや、とくにないよ。なんで?」
僕「そっかぁ。暇だったら一緒にメシ行こうかと」
友「なんだ、残念だったな」
どうでしょうか。直接的よりも間接的の方が、わずかではありますが、友人の「申し訳ない度」が小さいように感じます。
つまり、断られた時のことを想定して、相手の「申し訳ない度」ができるだけ小さくなるような言葉を選ぶように、脳に染みついているんです。
人間はこうして、円滑な人間関係を築くために、会話の予測をたてて予防線をはり、伺いあっているんです。
そう考えると、電話やコンビニの例も共通するものがあります。
会話の中で、原因不明の何らかのストレスを相手に与える可能性を危惧し、「あのー」という言葉を、その言葉自体に情報は全く含まれていないが、緩衝材として念のために使っている。
そう思えてならないんです。
well も uh もそうです。
言葉が出てこないからといって、全く無言だったら相手は不可解に思うわけです。
要は、こういった会話のテクニックを、英語の場合でも自在に使えるようになったらいいなという話でした。
おしまい
じゃないです。
書いている途中で新たな疑問が湧いてしまいました。
友人をメシに誘う例で、僕「明日の昼予定ある?」と聞かれた場合、友人にとっては、何か誘われるんだろうなという予測がたてられます。
しかし、誘われる内容によっては気分が変わったりします。
皆で勉強するのは嫌で、カラオケなら良い、なんてこともあるわけです。
友「いや、とくにないよ。なんで?」と答えてしまったら、その内容が嫌だった場合、断るのはやはり気がひけますよね。
下手したら、無理して行って全然面白くなかった、なんてことになりかねません。
だったら 僕「明日の昼、メシ食いに行かない?」と最初から要件を言われた方が良くないですか?
それが嫌なら、嘘ついて架空の予定を入れる事だってできるんですから!
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なんかもう、悪く言えば逃げですよね。こんな細かい事考えるなんて。
結局、相手を気遣うことによって、自分を守ったり、自分の価値を高めたりすることができたりするんですよ。
難しいです。
これ何のブログでしたっけ。
ほんとにおしまい